2009年12月17日

お由羅騒動

お由羅騒動(おゆらそうどう)とは幕末に薩摩藩(鹿児島藩)で起こったお家騒動である。別名「高崎崩れ」「嘉永朋党事件」。島津斉彬の藩主襲封を願う家臣によって起こされた。
そもそも事件の名前になったお由羅の方とは、江戸の町娘から島津斉興の側室となった人物である(その出自には三田の八百屋、舟宿、大工等多数の説がある)。彼女が息子・久光の藩主襲着を謀り、正室出生の斉彬廃嫡を目したことが事件の原因とされる。

しかし、祖父・島津重豪の影響が強い斉彬を嫌っていた斉興や家老・調所広郷等の重臣達の方が久光を後継者にと望んでいたのが実情とされる。彼ら久光擁立派は、重豪同様の「蘭癖大名」と見られていた斉彬がこの頃ようやく黒字化した薩摩藩の財政を再び悪化させるのではと恐れていたのである。

キャベツ畑
ケムタンのカラーコンピューター
さくらの休日
しゅんぎくの奮闘記
セレブな自然環境
つばさちゃんパソコントラブル
なまはげの秘密
ハッピータイム
ひとりあそび
フルーツ天国
それに対し、斉彬の早期の家督相続を希望していた勢力もある。壮年の斉彬にいつまで経っても家督相続せず倹約ばかりを強いる斉興へ反発を感じる若手下級武士や、斉彬を高く評価する江戸幕府である。琉球を実効支配し、外洋にも面していた薩摩藩はこの当時多発していた外国船の漂着・襲来事件に巻き込まれる事が多々あった。この為、西洋の事情に疎い斉興より海外事情に明るい斉彬の藩主襲封が望まれたのである。

久光は文化14年(1817年)生まれで、文政元年(1818年)に父・斉興のごり押しで種子島家の養子となったが、文政8年(1825年)に斉興の心変わりにより種子島家との養子縁組を解消し、島津一門家筆頭の重富島津家へ養子に入ることとなった。名族ではあるが家老どまりの種子島家に対し、重富家の養子ともなれば次期藩主の地位を狙える立場となる。一方で斉興は嫡子である斉彬に対して家督を譲らなかった。これは斉彬が既に将軍家へのお目見えも終了し、御三家・一橋斉敦の娘を正室としていた事もあり廃嫡が不可能とわかり、どうしても斉彬に跡を継がせたくない為、藩主に居続けたものと思われる。

2009年12月01日

動物虐待の被害者

ネコとしての習性により、これらさまざまな問題を引き起こすこともある野良猫だが、逆に人間社会の被害者となることも少なくない。性格異常者の中には、動物虐待を繰り返すことで、次第に良心が麻痺したり、妄想に取りつかれて、行動をエスカレートさせる場合があることが知られているが、これら動物虐待で真っ先に狙われやすいのが、当人の飼っているペットと並んで、これら野良猫である。

野良猫は、人間社会に溶け込んでいるため、他の動物に比べて、人間に対する警戒心が薄く、なかには餌をもった人間に無条件になつく個体も少なくない。ネコの餌が誰にでも購入できるものである以上、虐待する目的をもった者が、野良猫をおびき寄せて捕まえるケースもある。

また、これらの事件では、しばしば有害玩具が用いられているが、これらを購入した者が、実際に使ってみる実験台として、比較的捕えやすい野良猫を選んでいる。なお、これら有害玩具の販売に関する規制案も出されており、業界団体が自己規制を強めるなどの方策も採られているが、決定打とはなっていない。

金融の金汰
幻のルフナ
砂時計
思い出の杉並木
終着駅
キレイな暮らし情報ガイド
ベジスイーツ暮らしの達人ナビ
健やかなライフ情報サイト
新生活情報検索エンジン
知っ得暮らし生活情報ガイド
これらは動物愛護管理法によって、懲役1年未満、または罰金100万円以下の刑が科せられる犯罪行為であり、逮捕者も多数出ている。それでもなお野良猫を虐待するものは後を絶たず、虐待した野良猫の死骸をわざわざ目につく場所に放置したり、瀕死の傷を負わせて放置する事件も起きている。

過去の連続殺人事件等においても、その予兆として動物虐待行為が起きている事例があるため、警察側が警戒を強めている。2002年にはインターネット上で猫を虐待死させた様子を中継した福岡猫虐待事件も起きている。

2009年11月27日

従来のドラム缶状の爆雷は

従来のドラム缶状の爆雷は、沈降速度が毎秒数メートルしかなかったために目標への到達時間が長くかかり、また水中での向きが定まらないまま沈んでゆくので沈降速度にばらつきが生じ、潜水艦に効率的に打撃を与えることが難しかった。そこで沈降速度の向上と一定化を図るため、形状を流線形にして細くなった尾部にフィンを付けた爆雷が登場した。これによって沈降速度は毎秒十数メートル程度にまで向上し、撃沈される潜水艦が飛躍的に多くなった。

爆雷は水中で動作するため、爆発地点と目標艦の間に距離を経ると破壊力の減衰が著しい。そのため炸薬の量や性能の向上は重要であった。第二次大戦中、炸薬はTNT火薬からトルペックスとなり、またイギリス海軍の爆雷 MkX は炸薬の量が900キログラムを超えた。

ひとりあそび
フルーツ天国
ホラー大好き!
めざましマーケット情報
ヨークシャな日記
ワンコ健康診断
一真の言語道断
沖縄紀行
花を咲かそう
楽しい予告
第二次大戦の中頃までは爆雷は艦艇の後方に投下していたが、水上艦艇と潜水艦の運動性能に開きがあり、また投下直前にソナーを壊さないようにソナーを止める必要があったので、最後は潜水艦の位置を推測で投下する必要があり、効率が悪かった。このためイギリス海軍は対潜前投兵器の発明を進め、多連装小型爆雷「ヘッジホッグ」や爆雷投射砲「スキッド」「リンボー」(日本語文献では対潜臼砲、対潜迫撃砲などの表現も見られる)といった前方に投射できる爆雷システムが大戦中期以降相次いで登場し、ヘッジホッグはアメリカ海軍にも導入されて、連合国海軍は対独・対日の潜水艦狩りで大きな戦果をあげた。日本海軍でも一部の艦に「噴進爆雷砲」なる爆雷を全方位に投射できる装置を装備していたと言われているが、現在のところ詳細は不明である。

2009年11月13日

織田信包系

織田信包系
織田信長の弟・織田信包は、関ヶ原の戦いで西軍に属したものの、大名として存続を許された。丹波柏原藩主であったものの、孫信勝のときに無嗣断絶した。ただし、改易に際して信包の四男信当は幕府から3000石を与えられて、旗本として召し抱えられた。
なお、信包の長男信重は伊勢林藩1万石を領有する大名であったものの、父の死後に弟信則と遺領の相続争いをおこして、改易となった。その子孫は肥後熊本藩細川家の家臣になった。
はなさかじいさん
ひまな午後
ベニハヤトの雑記帳
まりりんの春休み
やまのいもの雑記帳
ロングスカート
一花の自然観察
黄泉の国
花咲く里
関東生活設計ハンター
織田長益系(有楽流)
織田信長の弟で有楽斎こと織田長益は、関ヶ原の合戦で東軍に属し、加増されて摂津味舌3万石の大名となった(味舌藩)。ただし、戦後は大坂城にあって豊臣秀頼の補佐にあたった。豊臣家の滅亡後、長益は隠居し、四男長政と五男尚長に各1万石を分け与えた。長政の子孫は大和戒重藩・芝村藩の藩主、尚長の子孫は大和柳本藩の藩主となった。織田信雄の系統の大名のような特別な待遇は受けられなかった。近代に入り、両家ともに華族となり、子爵を与えられた。なお、それぞれ藩主の庶子は渡会や溝口などといった別姓を称し、家臣になった。
なお、関ヶ原の合戦後、織田長益の長男長孝は美濃野村藩1万石の大名に取り立てられたものの、その子長則のときに無嗣改易となった。ただし、長則の弟長政の子孫は、加賀藩前田家の家臣になった。

2009年11月02日

ブーゲンビル島の戦い

ブーゲンビル島の戦い(ブーゲンビルとうのたたかい)とは大東亜戦争(太平洋戦争)中の戦闘の一つである。日本軍が占領したブーゲンビル島で、アメリカ軍が上陸した1943年11月1日から停戦の1945年8月21日まで戦われた。

ブーゲンビル島は、第一次世界大戦後オーストラリアによって委任統治されていた。1942年3月に日本軍は米豪遮断作戦の一環としてソロモン諸島の一部であるこの島を占領し、飛行場建設を開始した。ガダルカナル島の戦いが始まると、ラバウルからガダルカナル島を攻撃するための中間基地として重視されて飛行場建設が急がれ、北端に付属するブカ島と南端のブインに飛行場が完成した。このほか東岸のキエタにも小規模な飛行場が整備された。南端に付属するショートランド諸島には泊地と水上機基地が設けられ、ガダルカナル戦で重要な役割を果たした。なお、当時の日本軍はブーゲンビル島を「ボーゲンビル島」としばしば表記している。
中国地方
あしあと君観光経済
アルテミス女神
うさぎの電報
オシャレおばさん
お仕事再会
キャンディ姫
コードギアス最強
さるかに合戦
スタディーナイト

戦況の悪化に伴い1943年中盤よりアメリカ軍の飛行場への航空攻撃は強化されていった。ブイン飛行場には、海軍航空隊の零戦が70機あまり展開していたが、度重なる米軍との交戦によって30機前後にまで減り、全滅を避けてラバウルに転進した。

日本軍の陸上兵力は陸軍が第17軍第6師団を中心に4万人、海軍が第8連合陸戦隊と設営隊を中心に2万人が配備されていたが、砲火力が低く対戦車装備も不足していた。

アメリカ軍はラバウルの孤立化を目指すカートホイール作戦を発動した。8月5日にニュージョージア島のムンダ飛行場が米軍の手に落ち、10月にはコロンバンガラ島からの撤退を余儀なくされた。

2009年10月23日

DIP型会社更生手続

会社更生手続においては、管財人が通常選任されており、これが民事再生手続との一つの違いとなり会社更生手続の特徴となっていたが、2008年には、東京地方裁判所で会社更生手続を担当する民事第八部(商事部)所属の判事がDIP型会社更生手続の運用の導入に関する論文を法律雑誌に掲載することなどを経て、運用の拡張が行われ、一定の条件を満たした場合には、更生手続開始申し立て時の取締役を管財人として引き続き業務の運営に当たらせる運用が行われるようになった。

かかる手続の導入の背景には、会社更生手続は、担保権者を倒産手続に参加させることで、債務者の再建のための強力な方法論たるべく制度であったところが、危機に陥った債務者が、現行経営陣がそのまま経営を継続しうる民事再生手続を申し立てる例が増加し、本来の機能を発揮していなかったとの意識がある。裁判所による運用の変更という形でDIP型が導入されたのは、会社更生法の法文でも、かかる方法論をとることも予定されていたことによる。
ドラキュラ一族
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ピクニック・マーチ
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しし座流星群
スペシャルショートケーキ
だるまさんがころんだ
ドラミ地域で探す
ハイビスカス・ローゼル
ピーターパン
ふしぎ発見

上記運用導入の発表後の第1号案件はクリードに対する手続きである。

第一章 総則(第一条―第十六条)
第二章 更生手続開始の申立て及びこれに伴う保全措置
第一節 更生手続開始の申立て(第十七条―第二十三条)
第二節 更生手続開始の申立てに伴う保全措置
第一款 開始前会社に関する他の手続の中止命令等(第二十四条―第二十七条)

2009年06月22日

情報化社会の特色

最も典型的には、狩猟採集社会、農耕社会、牧畜社会、産業社会などとの対比で語られ、その場合には社会の発展段階のひとつとしての意味合いが強い。産業社会の成立のきっかけとなった一連の出来事を産業革命と言うことがあるが、これに対して情報化社会の進展を情報革命と称することもある。

情報化社会には様々な類義語がある。類義語は「情報」にまつわる語を伴うのが普通であり、マルチメディア社会、デジタル社会、知識社会、ネットワーク社会、高度情報化社会、情報ネットワーク社会、グローバル・ネットワーク社会、などがある。それらの語の「社会」を「時代」におきかえたものも一部に見られる。他に、特定の論者による造語として認知されているものに知価社会(堺屋太一)、情報文明(公文俊平)、複合的ネットワーク社会(須藤修)、などがある。

更に、「情報」、「ネットワーク」、「メディア」等の語を含まない「脱工業社会」、「ポストモダニティ」(脱近代)、「ポストフォーディズム」、「後期資本主義」などの概念、用語も、内容的には関連のあることがしばしば認識されている。これらの概念は、情報や情報技術をきっかけとした社会や経済の質的変換、あるいは飛躍的発展などを指すために用いられることがある。但し、情報や情報技術の社会的効果は必ずしも強調されているとは限らず、社会変動をもたらす多くの要素の一つであったり、あるいは原因というよりも結果、あるいは社会変化を測定する際の指標といった位置づけになっているものもある。

具体的に何が情報化するのか、という点になると意見は様々だが、初期に目立った議論は、経済の情報化である。
感染症
ケーブルテレビ
インフルエンザ
バイオリズム
戯曲
天体
喜劇
真菌学
日本画
宇宙ステーション
地層の作り
神社案内
未知の宇宙
脳と神経
日本の重要文化財
下町東京
広島の歴史
不動産用語
サンタはどこ
牛の生涯

一般に、情報化が経済だけに見られるものである場合には、情報経済と呼んで社会全般については問題にしないケースもある。但し、そのような情報経済についての研究が、情報社会論の文脈で引用、解釈されて、情報社会の到来を裏付けるひとつの根拠として扱われる場合も少なくない。一般に、情報社会論は情報経済論を含むものとして論じられている(逆に、情報社会論が情報経済論に取り込まれている場合もある)。

より具体的には、次のような根拠で、ある社会が情報社会ないし情報経済だとされる。

情報の製造、加工、流通を主とする産業(情報産業)やそれに準ずる産業が国民総生産に占める割合が大きいこと
情報を扱うことを主とする職種に従事する労働力の割合が大きいこと
情報産業の急速な成長が、経済成長率へ貢献する度合いが高いこと
情報を扱うことを主とする職種に従事する労働力の割合が増大していること
情報産業によって提供される情報サービスや情報処理技術が、その他の諸部門の生産性上昇や競争力増強に貢献する度合いが高いこと
消費財における、情報的な側面が、それ以外の側面よりも商品の価値を大きく左右すること。情報的な側面は、広告によって付加される商品のイメージ、ブランドのイメージ、商品のデザイン(実用的な機能と対照される)、など様々に定義される
情報財の消費量の増加。物質的な豊かさを追求するための消費に代えて、精神的な豊かさを追求するための消費の台頭
情報インフラの発達と共に、企業の立地がより自由になり、事務処理や生産などの機能をグローバルに展開させることが容易になること。また、その為に国際競争や地域間競争における勢力関係が変質する、または変質する可能性があること。
情報財が主となる経済では、従来のような希少性に基づく競争原理が成立せず、共有、共創型の経済に転換すること
情報技術の活用によって、企業の経営形態や労使関係、労働の形態などが変化すること
他に、政治、文化、生活などの諸側面についても、様々な説が提唱されているが、経済分野の情報化に関する研究に特徴的なことは、情報化の度合いを測定することに対する強い関心である。情報化は果たして本当に起こりつつある変化なのか、それはどのような指標によって最もよく把握できるのか、といった点についての議論は多く、各国の情報化の度合いを比較する統計も多く出ている。

政治に関する研究においては、例えば電子政府、電子投票、政党によるインターネットの活用などを測定、観察し、それを持って政治の情報化を語る研究はそれほど盛んではない。代わりに、そのような情報化が進むと政治がどのように変容するのか、ということについての議論は多い。それは、一方では、実証的なケーススタディやサーベイ調査の対象になるものがあり、現在進行中の情報化として検証されている。但し、こうした調査が、情報社会が実現した、もうすぐである、まだまだ情報化が始まったばかりである、という類の診断を主な目的としている場合は少ない。

もう一方では、電子民主主義、サイバー・ポリティクスなどといった用語を用いながら、政治のラディカルな変容を描き出す論がある。ケーススタディー、顕著な事例などを先駆的な事例と考えて比較的大胆な議論を展開するものも多い(そうでないものもある)。描き出される情報化社会の政治体制としては、アナーキズムや直接民主主義、グローバル民主主義、市民社会の復権、草の根民主主義、コミュニティーの復権、といったものがある。但し、初期の情報社会論、メインフレーム系のコンピュータを想定したものの中には、知識の大規模集積とそれを活用した計画・予測技術の飛躍的発展を予測するようなものもある。また、一般に、情報社会におけるテクノクラシーの台頭、政府の管理・監視能力の増大などを警戒する論も多い。

2009年06月05日

最上氏(もがみし)は、清和源氏の足利氏の一族

最上氏(もがみし)は、清和源氏の足利氏の一族である管領の斯波氏の分家。羽州探題を務め、のち出羽国の戦国大名である。斯波最上氏とも斯波出羽家ともいわれる。

最上氏の起源である斯波氏は、本来足利宗家となるはずだったものの北条氏の介入によって廃嫡され分家した足利家氏を祖とする。南北朝時代の延文期(1356?60)に斯波氏傍流の奥州管領斯波家兼の子、斯波兼頼が出羽国按察使として山形に入部し、山形城を築城し本拠とする。そして、室町幕府より屋形号を許されて最上屋形と称したことを機に最上氏を称することとなった。また山形を領したことから、山形氏と表記されることがある(太田亮『姓氏家系大辞典』)。

室町時代に最初の最盛期を迎えたが、やがて天童氏など同族内の争いが絶えず起こったために衰退し、最上義定の頃の1514年(永正11)には伊達氏と長谷堂城で戦って敗北し、一時は伊達氏の配下になる。義定の死後は庶流中野氏から迎えた最上義守を傀儡として、伊達氏から迎えた義定の未亡人が権勢をふるった。

戦国時代に入って伊達氏内部に天文の乱が起こると、最上義守は伊達氏から独立して戦国大名の道を歩み始める。そして義守の子・最上義光の代になると、庶族の天童氏、近隣の寒河江氏を滅ぼし村山郡を平定。さらには庄内地方の大宝寺氏や周辺勢力と対立するようになった。また、最上義光の妹の義姫は伊達輝宗へ嫁ぎ、伊達政宗を生んでいる。

1590年(天正18)に覇業を推し進める豊臣秀吉の小田原征伐を機に臣従、本領を安堵され、山形城を居城にして24万石を領する。1591年には雄勝郡を獲得した。その後、義光は娘駒姫を関白豊臣秀次の側室にしぶしぶ差し出す羽目に陥ったが、彼女は秀吉により秀次もろとも斬処されてしまった。これ以前より、義光は徳川家康に接近していたが、さらに豊臣氏と距離を置き、徳川氏に接近するようになった。秀吉の死後、関ヶ原の戦いが起こると、東軍方として上杉氏らと戦った(長谷堂城の戦い)。また、北隣の小野寺氏とも交戦し、上浦郡(平鹿郡・雄勝郡)一帯を制圧した。
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関ヶ原の戦いに伴う出羽合戦の恩賞で加増され、置賜郡を除く現在の山形県全土と秋田県由利本荘市周辺(1602年、佐竹氏との領土交換により雄勝郡・平鹿郡と引き換えた)を手に入れ、計57万石(実高は100万石とも称する)を領する大大名になり、二度目の最盛期を迎える。江戸時代に入ると、義光の後継をめぐって争いが起き、長子の義康の暗殺事件が起こる。以降も家中の内紛はやまず、義光の孫義俊の代には最上騒動が起こった。

義俊は家中の信望を失っており、1622年(元和8年)、最上氏は騒動を理由に幕命により改易されることとなった。宗家の斯波武衛家が滅亡していたので、斯波氏の流れを汲む最上氏は断絶を惜しまれ、近江国に1万石の知行を改めて与えられた。しかし義俊の死後、子の義智が幼少であったために5000石に減知され、子孫は旗本交代寄合として存続した。

義光の4男山野辺義忠は最終的には水戸藩の家老に抜擢され、子孫は代々世臣として藩政に重きをなした(テレビ時代劇「水戸黄門」において大友柳太朗・高松英郎・丹波哲郎らが演じた、水戸藩の口うるさい国家老「山野辺兵庫」は、義忠の子の山野辺兵庫頭義堅をモデルにしている)。

また義光の甥にあたる松根光広の子孫は宇和島藩の家老家として続き、幕末には伊達宗城を補佐した松根図書が出ている。また、夏目漱石の弟子で俳人の松根東洋城は図書の孫である。

2009年05月02日

個体群・生物群集・生態系・景観

「生物多様性」は、いくつかの側面があるため、標準的な一義的な定義というものはないが、以下の3つの定義で説明ができる。

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彼岸花お買物上手!サーチ
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「生物学的構造の全てのレベルでの生命の多様性」 - 最も簡単な定義
「異なる生態系に存在する生物間での相対的な多様性の尺度」 - この定義の「多様性」は、1種内の多様性、種間の多様性、および生態系間の多様性を含む。
「ある地域における遺伝子・種・生態系の総体」 - この定義の長所は、実態をうまく表しているように思われることと、生物多様性として定義されてきた慣例的な3段階の切り口を統一的に扱える点である。
遺伝的多様性 ? ある1種の中での遺伝子の多様性。同じ種の中での個体間の違いと、個体群間の違いがある(→集団遺伝学も参照されたい)。
種多様性 ? 種間の多様性(簡単に言えば、多くの種が存在すること)。
生態系の多様性 ? より高次の水準、すなわち生態系(遺伝子が究極的に寄与する、異なった諸過程の豊富さ)における多様性。
上記の定義のうち最後のものは、生物学における伝統的な5つの生物の層(個体・個体群・生物群集・生態系・景観)と同じであり、複数のレベルでのアプローチに付加的な正当性を与えている。

1992年にリオデジャネイロ市で開催された環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)では、生物多様性は次のように定義された:

「すべての生物(陸上生態系、海洋その他の水界生態系、これらが複合した生態系その他生息又は生育の場のいかんを問わない。)の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性及び生態系の多様性を含む」
これは生物の多様性に関する条約で採用された定義であって、生物多様性に関して法的に認められた唯一の定義と言えるものに最も近い。この条約には、アンドラ、ブルネイ、バチカン、イラク、ソマリア、東ティモール、アメリカ合衆国を除く全ての国が締約国として参加している。

E.O.ウィルソンが言うように、遺伝子が自然選択における根本の単位であるならば、生物多様性は実質的には遺伝的多様性であるといえるが、研究の際に最も扱いやすいのは、種多様性である。

遺伝学者にとって、生物多様性とは、遺伝子や個体の多様性のことである。かれらは、DNAレベルで起きて進化を発生させる諸過程(突然変異、遺伝子の交換、遺伝子の動態)について研究する。
生物学者にとって、生物多様性とは、生物の個体群や種の多様性のことであり、さらにはそれらの生物が果たす役割のことでもある。生物は現れては絶滅する。すなわち、ある場所は、同種の生物によって占められたり、別種のものにとって代わられたりする。種によっては、生殖戦略を発展させるために社会構造を発達させる。
生態学者にとって、生物多様性とは、種間の持続的な相互作用の多様性のことでもある。このことは、'種'についてだけでなく、生物が直接接する環境(生息空間) および更に広範囲な地域についても当てはまる。各々の生態系の中で、生きている生物は全体を構成する一部分であり、個体同士のみならず、空気、水、土壌など彼らをつつむ全てと相互に影響しあっている。

2009年04月18日

エースコンバット・ゼロ

国家、組織等
ベルカ公国(The Principality of Belka)

『ACE COMBAT 5』にも登場する国家であるが、本作ではそれ以前の歴史がクローズアップされている。ベルカ騎士団(プロイセンの基となったドイツ騎士団がモデルと思われる)の末裔であるベルカ軍を擁し、古来からの軍事国家であるベルカは、拡張主義の下でその国土を拡張したが、その結果重度の経済危機に陥った。状況を打開するために1988年にはベルカ連邦法を改正し、ウスティオをはじめとする東部自治領を独立させて自国から切り離す。しかし不況は収まらず、経済不安やオーシア連邦による領土切り崩しの中で「昔ながらの強いベルカ」を求める国民の声から、1991年12月25日に極右政党が政権を掌握する。1995年3月25日にはウスティオ共和国での資源発見を機に、旧領であったウスティオ共和国やサピン王国・オーシア連邦に攻め込み、ベルカ戦争の火蓋を切った。後、その強力な軍事力や科学力・工業力によって1995年4月1日までは優勢を維持した。首都はディンズマルク(Dinsmark)。
ベルカ民主自由党
「強く正当な国家の再生」をスローガンとする、国粋主義的な傾向の強いベルカ公国の極右政党。1980年代の経済危機により、周辺諸国からの援助を当てにするあまり弱腰となり、オーシア連邦による領土切り崩しにも対処できなかった当時のベルカ政府が支持を失う中、「昔ながらの強いベルカ」を望む国民の支持を集め、政権を掌握する。その後、軍備の増強を行い周辺諸国へと侵攻、ベルカ戦争を引き起こした。開戦当初は優勢を確保するも、連合軍の反攻の前に党内の主戦派と穏健派、さらには軍部との間に軋轢が生じ、軍部強硬派による自国領内での核起爆を機に政権は崩壊、連合軍主導の暫定政権が発足した。
戦前は国民の圧倒的な支持を得ていたものの、ベルカ純血主義の下、移民を含めた外国系人種のベルカ人が冷遇されたり、周辺諸国を一方的に搾取者と決め付けるといった一面を有していた。その果てに「同胞殺し」である核爆発が起きた為、国民の支持を失う。特に、主戦派の「旧ラルド派」に至っては、クーデター組織「国境無き世界」との繋がりが明らかになり、幹部であるヴァルデマー・ラルドは失脚、一部は地下に潜り、戦後の反連合工作に関わった。
ベルカ絶対防衛戦略空域B7R(Belkan Priority One Strategic Airspace B7R)
ベルカの政治的・軍事的・産業的における象徴的な空域。ベルカの工業都市スーデントールやウスティオ共和国との国境地帯等を含む、直径400kmの隆起地形が広がる円形の地域。B7Rとはベルカ側が命名したエリアコードであり、狭義にはB7R地域内に存在するベルカ軍の東部国境防衛ラインの事を指す。膨大な資源埋蔵量を誇る鉱山地帯である為、かつては地下資源をめぐってベルカと周辺諸国の戦場と化し、幾度となく国境線が引き直されてきた。ベルカ戦争に於いても激戦地であり、ベルカ空軍の精鋭部隊が常に哨戒に当たっている。鉱物資源に由来する強い磁場によって通信障害が多発し、戦闘行為のみならず万一の場合の救助も難しい為、戦闘機パイロットにとっては自らの技量を試される極限の戦場であり、戦争当時ウスティオ空軍では「当空域の交戦規定は唯一つ“生き残れ”」と言われていた。円形の地域である事、また空戦に於いては階級等に関係なく実力のみが絶対である事から、上座も下座もない円形テーブルにかけて、パイロット達の間では畏怖の念を込めて「円卓(The Round Table)」と呼ばれている。
ベルカ戦争後に、遺族団等による遺体や遺品の捜索や、撃墜された機体の回収作業が行われたが、ベルカ戦争だけでも100機以上に上る撃墜数の多さに加え、上記の様な地理的要因から捜索自体が困難である為、その多くが未回収、又は行方不明のままである。
ウスティオ共和国(The Republic of Ustio)

ベルカ公国の南東に位置する小国で、旧ベルカ連邦の構成国。ベルカ連邦法の改正によって、1988年5月12日にベルカから分離独立した。1995年、莫大な地下資源が存在することが明らかになり、結果として3月25日にベルカから侵略されることになる。当初は防戦一方となり、開戦から1週間後には山岳地帯を除くほとんどの地域を占領される。1995年4月2日、ウスティオはヴァレー空軍基地に傭兵を結集させ、反撃に出た。首都はディレクタス(Dilectus)。ベルカ連邦時代はベルカの技術力の基となるほどの工業力を持っていた為、基本的に裕福な国でもある。
ヴァレー空軍基地(Valais Air Base)
ウスティオ共和国領北東部の山岳地帯に立地する、ウスティオ空軍の基地。陸路での移動が困難な立地条件が幸いし、首都ディレクタスとは異なり、ベルカ軍の侵攻は免れた。その為、ウスティオ臨時政府によって反撃の拠点とされ、以来この基地を本拠地とする傭兵部隊「第6航空師団」が重要な役割を果たす。
1995年4月2日に、ベルカ空軍の爆撃機編隊に接近されるも、基地北西の空域に於いて基地所属航空隊により撃退、基地への爆撃は回避された。しかし、1995年12月25日にクーデター軍「国境無き世界」の重巡航管制機「XB-0」を中心とする航空部隊に奇襲を受け、ベルカ戦争開戦以来初めて大打撃を被った。
連合軍(Allied Forces)
ベルカ戦争に於いて、ベルカに対抗した国家による軍事的な連合。主な構成国は、オーシア連邦、サピン王国、ウスティオ共和国等。また、オブザーバーとしてユークトバニア連邦共和国が関わっている。
オーシア連邦(Osean Federation)

『ACE COMBAT 5』にも登場する国家であるが、本作ではそれ以前の歴史がクローズアップされている。ベルカ戦争当時のオーシアは巨大国家を形成すべく拡張主義に執心し、戦争状態にこそ移行しなかったものの、衰退していたベルカの西部領域を切り崩して自国の支配下に置くなどの行為を行っていた。戦後は拡張主義を放棄し、積極的に軍縮を行った。
サピン王国(Kingdom of Sapin)
ベルカ公国の南に位置する国。北オーシア大陸の南西部に位置し、南東はオーレッド湾やフトゥーロ運河を挟んでオーシア連邦、北はウスティオ共和国とベルカ公国、西はラティオと接する。ベルカ戦争ではベルカ軍の侵攻を受け、連合軍を構成する一国となった。首都はグラン・ルギド。サピン(Sapin)という国名は「スペイン(Spain)」のアナグラムであり、登場人物の姓名もスペイン風である。
ファト連邦(Fato)
ベルカ公国の東に位置する連邦国家。ベルカ戦争ではゲベートのモーデル制圧戦を支援するが敗退。以後ベルカ軍の侵攻を受ける。首都はブルニーズ(Brunies)。
ゲベート(Gebet)
ベルカ公国の東に位置する国家で、旧ベルカ連邦の構成国。ベルカ連邦法の改正によって、ウスティオに先立ち1988年2月8日にベルカから分離独立した。その後レクタと分裂。ベルカ戦争では戦線構築をする間もなく、3月27日のモーデル制圧戦をはじめ、各地でベルカ軍に敗れる。首都はモンス(Mons)。
レクタ(Recta)
ゲベートから分離独立した国家。首都はコール(Cor)。
ラティオ(Ratio)
ウスティオ共和国の東に位置する国家。ウスティオがベルカから分離独立した後、ウスティオ東部を併合した。首都はセントラム(Centrum)。
国境無き世界(A World with No Boundaries)
ベルカ、ウスティオ、オーシア、サピン、ユークトバニア等、多国籍の将校によるクーデター軍。V2戦略核弾頭等による大規模破壊行為によって、文明退化を引き起こす事で、新たな世界の再構築を目論んだ。クーデター勃発と同時に停戦協定の行われた都市ルーメンを空爆、ベルカ領内のムント渓谷に存在するアヴァロンダム要塞を拠点とし、V2戦略核弾頭の発射準備を進めていたが、連合軍航空部隊による空爆でアヴァロンダムの要塞施設は破壊され、計画は頓挫した。組織の崩壊後も、行方不明となった構成員の一部は反連合工作活動を続けており、オーシア特殊警察等による捜査が続けられている。

部隊名
ウスティオ空軍第6航空師団第66飛行隊ガルム(Ustio Air Force 6th Air Division 66th Air Force Unit)
新興国家ウスティオの外国人傭兵部隊。ヴァレー空軍基地を拠点として、ベルカ戦争では対ベルカ防衛戦からベルカへの反撃侵攻まで重要な役割を持つ。TACネーム「サイファー」「ピクシー」が在籍していた。なお、ガルムの名は北欧神話に登場する猟犬に由来する。部隊章は鎖に繋がれた猟犬。
ウスティオ空軍第6航空師団第4飛行隊クロウ(Ustio Air Force 6th Air Division 4th Air Force Unit)
ガルム隊と同じく、第6航空師団に属する部隊。エクスキャリバー攻撃作戦にて初めてガルム隊と共同作戦を行って以来、共同作戦を行うことが増えた。また、TACネーム「PJ」ことパトリック・ジェームズ・ベケットはクロウ隊の3番機を勤めていた折、1番機と2番機のパイロットである「クロウ1」と「クロウ2」からは作戦中にもかかわらずよくヴァレー空軍基地にいる恋人のことでからかわれていた。部隊章は矢を咥えたカラス(Crow)をハートマーク型に描いたもの。
ベルカ空軍第2航空師団第52戦闘飛行隊ロト(Belkan Air Force 2nd Air Division 52nd Tactical Fighter Squadron)
ロト(Rot)はドイツ語で「赤」の意。隊長はデトレフ・フレイジャー少佐。4機の赤いタイフーンで編成される。エリート部隊であり、軍のプロパガンダに幾度となく登場している。
ベルカ空軍第10航空師団第8戦闘飛行隊グリューン(Belkan Air Force 10th Air Division 8th Tactical Fighter Squadron)
グリューン(Grun)はドイツ語で「緑」の意。隊長はベルンハルト・シュミッド大尉。独特のグリーン迷彩が特徴のF/A-18C4機で編成される。チャフやフレアによるミサイル回避戦術や、鋭い戦局観察眼を持つシュミッドの指揮による臨機応変な戦闘を持ち味とし、数々の戦果を上げる。シュミッドが率いる隊員達は、「戦いを生き残る」事を最重要視し軍規違反の撃墜スコアを稼いでいた、第10航空師団内での厄介者の集団であり、名誉と武勲を重んじる伝統のベルカ空軍にあって異色の存在であった。
ベルカ空軍第7航空師団第51戦闘飛行隊インディゴ(Belkan Air Force 7th Air Division 51st Tactical Fighter Squadron)
インディゴ(Indigo)はドイツ語で「藍」の意。隊長はデミトリ・ハインリッヒ中佐。白いボディに藍色のラインが入ったJAS-39C4機で編成される。ハインリッヒの意向により騎士道を重んじる戦い方を旨としており、「ベルカ藍色の騎士団」の異名を持つ。
ベルカ空軍第5航空師団第23戦闘飛行隊ゲルプ(Belkan Air Force 5th Air Division 23rd Tactical Fighter Squadron)
ゲルプ(Gelb)はドイツ語で「黄」の意。隊長はオルベルト・イェーガー少佐。翼の両端を黄色くペイントした2機のSu-37で編成される。2番機ライナー・アルトマン中尉との息の合った連携が武器で、部隊章にちなみ「番(つがい)のカワウ」と呼ばれる。格闘戦用に機体後方へ向けて空対空ミサイルをマウントしており、至近距離で背後を取っている敵機に向けて攻撃する変則的な戦法を採る。
ベルカ空軍第13夜間戦闘航空団第6戦闘飛行隊シュヴァルツェ(Belkan Air Force 13th Night Fighter Air Division 6th Tactical Fighter Squadron)
シュヴァルツェ(Schwarze)はドイツ語で「黒」の意。隊長はドミニク・ズボフ少佐。自軍の脱走兵や命令違反者の粛清を主な任務とし、味方にさえも容赦ない攻撃ぶりから「ハゲタカ隊」「エスケープキラー」と呼ばれ恐怖と軽蔑の対象になっている。任務遂行に適する機体として加速力や最高速力に優れた8機の黒いMiG-31で編成され、その加速力をストレートに生かした戦法を行う。ベルカ空軍に根ざすベルカ人純血主義の影響で、脱走者や裏切り者とはいえ「ベルカ人がベルカ人を殺す」事をタブー視した結果、隊員はユークトバニアとベルカ出身の傭兵で正規の空軍軍人は1人も属していない。この部隊自体が「汚れ役」である存在故に、ベルカ敗戦が迫る中証拠隠滅のために隊の記録は抹消されている。またそれ以前に隊員に関する氏名等の情報すら本物か疑わしく、一部の戦死者は密かに生存しているという怪情報すらある。
ベルカ空軍第22航空師団第4飛行隊シュネー(Belkan Air Force 22nd Air Division 4th Tactical Fighter Squadron)
シュネー(Schnee)はドイツ語で「雪」の意。隊長はエリッヒ・ヒレンベランド中尉。4機のF-14Dと、1機のEA-6Bで編成される。電子戦機(EA-6B)によるレーダーへの目つぶしと、それと同調した長距離ミサイル攻撃で敵部隊を混乱させる戦術を得意とする。開戦と同時に最前線に投入され、多大な戦果を上げた。
ベルカ空軍第51航空師団第126戦闘飛行隊ズィルバー(Belkan Air Force 51st Air Division 126th Tactical Fighter Squadron)
ズィルバー(Silber)はドイツ語で「銀」の意。隊長はディトリッヒ・ケラーマン中佐。ゼブラカラーのF-4EとF-16C4機の計5機で編成される。隊長機のF-4Eは旧式ながらかなりの改修が施されている模様で、ケラーマンの空戦技術とあいまって侮り難い戦闘能力を発揮する。隊員は空軍アカデミーの教官も務めたケラーマンの教え子たちであり、彼の指揮の下では手ごわいが、まだ彼に頼りすぎている感があり、彼の指揮なくしては烏合の衆になりかねない弱さも持っている。
なお、ズィルバーの名を冠する部隊は過去に2隊存在する。1つ目は現役パイロット時代のケラーマンの所属部隊である第51航空師団第105戦闘飛行隊、通称第一期ズィルバー隊。2つ目は1990年にケラーマンが第一期ズィルバー隊から空軍アカデミーに移った以降、ケラーマンの部下であり教え子でもあった面々達による同隊で、通称第二期ズィルバー隊。この第二期ズィルバー隊はベルカ戦争時点で隊員の多くが戦死、あるいは負傷していたので、ベルカ空軍上層部はケラーマンの前線復帰に際して、新たに第三期ズィルバー隊を編成することになった。
ベルカ空軍第18航空師団第5戦闘飛行隊ゴルト(Belkan Air Force 18th Air Division 5th Tactical Fighter Squadron)
ゴルト(Gault)はドイツ語で「金」の意(ただしドイツ語における本来の表記は"Gold")。隊長はアントン・カプチェンコ中佐。8機のSu-47で編成される。「ゴルトの巣」と呼ばれる変幻自在な包囲攻撃を得意としている。隊員の大半は戦死もしくは戦後死亡しているが、隊員の一人「ゴルト7」ことロレンズ・リーデルは後に自国の技術者と共にエストバキア連邦に亡命し、同空軍に所属を変えたことが「エースコンバット6」のアサルトレコードで明かされている。
サピン空軍第9航空陸戦旅団第11戦闘飛行隊エスパーダ(Sapin Air Force 9th Air and Land Division 11th Tactical Fighter Squadron)
エスパーダ(Espada)はスペイン語で「剣」の意。隊長はアルベルト・ロペズ大尉。J35J(ロペズ機)とラファールM(バスケス機)で編成される。驚異的な回避能力でプレイヤーの攻撃を易々とかわす。
オーシア国防空軍第8航空団第32戦闘飛行隊ソーサラー(Osea Air Defense Force 8th Air Division 32nd Tactical Fighter Squadron)
ソーサラー(Sorcerer)は英語で「(悪魔の助けを借りる)魔術師」の意。隊長はアンソニー・パーマー中尉。8機のF-15S/MTDで編成される。それぞれ2機ずつの合計4隊が一定の間隔を置いて接近してくる。
オーシア国防空軍第8航空団第32戦闘飛行隊ウィザード(Osea Air Defense Force 8th Air Division 32nd Tactical Fighter Squadron)
ウィザード(Wizard)は英語で「(男の)魔法使い」の意。隊長はジョシュア・ブリストー大尉。YF-23とF-16XL各4機の計8機で編成される。F-16XLが囮として敵と戦っている間に、ステルス性能を有するYF-23の本隊が突然攻撃してくる。
オーシア第3艦隊
空母ケストレル(ウィーカー艦長)を旗艦とするオーシアの艦隊。ウスティオ解放作戦支援のため五大湖周辺に派遣された。ゲーム内では、フトゥーロ運河での作戦「戦域攻勢作戦計画4101」においてプレイヤーたちの支援によりフトゥーロ運河突破に成功する。
バス ブラックタ アセアン 水辺の旅 ルコギ プルメリア リッチシ チョック タンク スクーター ナベル ジャポニ ドラル 朝ごはん はばね 忍耐最適 ファイリン バキュー ソネット ローマ わこう オート パナ フェレット ハイム 虹のパノ スケジュ ユーカリ オパール オリジ キャラバン ハット テロロ ケーオー オフセ ちぎれ雲 レース なかせん 相合傘人 テーブル リスク ビップ イースト ミルク オーライ トラン スネーク ネグレクト オート キネシ

架空機/架空兵器 [編集]
ADFX-01/02 Morgan(モルガン)

南ベルカ国営兵器産業廠が開発中であった実験機。「ADFX-01」は連合軍に、「ADFX-02」は「国境無き世界」にそれぞれ接収された。
ADF-01 FALKEN(ファルケン)
詳細はADF-01を参照

ノースオーシア・グランターI.G.が開発していた、戦略レーザー搭載型の特殊戦闘機。
X-02 Wyvern(ワイバーン)

エルジア軍が開発していた、同国の航空技術の結晶ともいえる戦闘機。
BM-335
ベルカ軍が保有する爆撃機。機首や尾翼の形状に特徴がある。機体の大きさから、B-52とほぼ同等の大型爆撃機と推測される。迎撃したウスティオ軍のパイロットからは「古典的な機種」と呼ばれている。
エクスキャリバー(Excalibur)
ベルカ公国領南ベルカのタウブルグ丘陵に建設された、ベルカの技術力を象徴する超高層レーザー兵器。その名称はアーサー王伝説に登場する聖剣エクスカリバーに由来する。基地の中央には、最上部に光学式照準ターレットを備えた、剣を思わせる形状の高さ1kmのレーザー増幅器があり、その周囲に高さ500m前後と推定される6基の目標照準追尾装置(レーダー塔)。その外側の東西南北に4基のジェネレーター施設と、平時は周囲の丘陵に掘られたトンネル施設に格納されている基地防衛用のレーザー列車砲4両。さらにやや離れた南方には4つのジャミング施設がある。4基の高出力化学レーザーユニットより発振されたレーザーは増幅器基部の制御装置に集束された後、超高層増幅器を経由し、そこから生じる出力1.21ギガワットもの強力なレーザーが、6基の目標照準追尾装置と、水平360度・垂直180度程度の可動範囲を持つ光学式照準ターレットによって正確に目標に照準・照射される。反射鏡を備えた人工衛星や航空機を利用する事で、その射程は約1200kmに及ぶ。万一、敵機の接近を許した場合、巨大兵器故の小回りの効かなさが弱点となるが、その場合でもジャミング施設とレーザー列車砲による強固な防空網で対応する。
エクスキャリバーは、1981年に発案されたベルカ公国のBMD(Ballistic Missile Defense/弾道ミサイル防衛)構想の下、本土防衛用化学レーザー兵器として建設され、丘陵地形の多いベルカ公国を防衛する為、驚異的な高層化が行われている。建造に当たっては、世界自然遺産にも指定されているタウブルグ周辺の自然破壊を懸念した自然保護団体等による抗議活動が行われたが、過激化する抗議活動を問題視したベルカ政府によって、タウブルグ周辺が立ち入り禁止区域となった為、結果的に自然環境にはプラスとなった。連合軍によるベルカ領内侵攻後、エクスキャリバーは本土防衛兵器としての本領を発揮し、連合軍の航空部隊に多くの損害を与えたが、ウスティオ第6航空師団を中心とした連合軍の攻略作戦「ジャッジメント作戦」により1995年5月23日に破壊された。
フレスベルク(XB-0 Hresvelgr)
南ベルカ国営兵器産業廠が開発中であった重巡航管制機。名称の由来は北欧神話に登場する巨大な鷹フレズベルク。全幅は公式に503mとされており、縮尺図から推定すると全長は約290m、外観から全高は50?60m前後と推測される。この巨体を飛行させる為、1350.2kNの大出力を誇るエンジンが6基搭載されている。計画上は50機以上の機体を収容可能な長距離侵攻用空中空母であり、その為に空中管制機としての機能も持ち合わせている。武装面では特筆すべきものはないが、機銃や短射程ミサイルといった自衛用の基本的な対空兵装は多数搭載されている。本来の重巡航管制機としての運用の他に、桁外れの積載能力を生かして超大型輸送機、又は爆撃機としての運用も可能ではあるが、どの運用法でも運用に伴う莫大なコストが問題となっている。
ベルカ戦争終結後、ベルカ領中部シルム山麓のイエリング鉱山に併設された巨大格納庫に格納されていたフレスベルクは、ベルカ残党軍を中心としたクーデター組織「国境無き世界」によって接収され、同組織の移動手段として使用される事となった。接収されたフレスベルクは、未だ試験段階にあった機体と思われ、空中空母等の計画上の能力を全て保持していたかについては定かではない。1995年12月25日、フレスベルクはクーデター軍の蜂起と同時に実戦投入され、ベルカ戦争の停戦条約が締結された都市ルーメンを爆撃、その後ウスティオ共和国ヴァレー空軍基地を襲撃し深刻な被害を与えたが、緊急発進した迎撃部隊との交戦で撃墜された。
フレスベルクの設計・建造で培われた技術は、後に亡命ベルカ人技術者を経由してエストバキア連邦に渡っている。
※ 作中では英語の慣習として0(ゼロ)をO(オー)に読み替えており、「XB-0」と書いて「エックスビーオー」と読む。「XB-O」と表記される事もあるが、これは誤りである。
V1
ベルカ国内を侵攻する連合軍の壊滅、或いは足止めを狙い、ベルカ軍の一部強硬派が自国領内で起爆させた小型戦術核爆弾。1995年6月6日に計7発が起爆された。これにより多くのベルカ国民を含む12000人超が死傷した。この時使用された核兵器については、後述の「レディオアクティブ・デトネイター」も参照の事。
V2
ベルカが開発中の、核を搭載した大量報復兵器。ミサイルの弾頭に搭載されていた。
V2の名は第二次世界大戦中のドイツが開発した弾道ミサイルV2ロケットに由来すると思われる。
レディオアクティブ・デトネイター
ベルカ軍部が開発したとされる小型の戦術核爆弾。ベルカ戦争の数年前から開発が始まったと噂されているが、この兵器の存在そのものも含めて真偽は不明。外見は手榴弾に似ており、100ヤード単位での爆発半径の調整が可能、上部のスライド式トリガーを動かす事で起爆するとされている。ベルカ戦争後期にベルカ軍が使用した計7発の核兵器は、この兵器であるとする説と、「V1」小型戦術核爆弾であるとする説、また、この兵器こそが「V1」であるとする説もあるが、詳細は不明である。
アヴァロンダム(Avalon Dam)
ベルカが大量報復兵器V2の発射基地としてムント渓谷に建設したダム。ガンタワーや橋架地点の対空火器など強固な防空網が整備されている。また、ダム自体は核攻撃に耐えられる構造になっている。8基のV2発射設備を持つ。
1995年12月31日、連合軍の攻撃部隊がダムを攻撃、ガルム隊が施設内部に侵入し、V2の制御装置を破壊した。その直後の戦闘でガルム隊2番機が戦死している扱いになっている。平常時には水を溜め通常のダムのように偽装することが可能なため、V2の開発(または搬入)を許してしまった要因とも考えられる。
戦後は当局の手によって非武装化が図られ、少なくとも2005年11月30日時点では膨大な水を蓄えたダムとなっている。